元オリンピック競輪選手「伏見俊昭」を徹底網羅!ブログ・結婚・嫁などご紹介!
競輪予想サイト解体新書の検証担当「近藤 宗康」です。
今回は「伏見俊昭」選手についてご紹介します。
競輪を長く見ていていると、自然と選手のファンになることがあると思います。
きっかけはプレースタイルやキャラクター・容姿と様々でしょう。
今回は数多くのタイトルを獲得し続け、ファンを魅了している伏見俊昭選手についてご紹介します。
選手としての戦績・ブログ・結婚・嫁についても徹底的に調べました。
はたして、どのような選手なのでしょうか。
ぜひ最後までご覧ください。
目次
伏見俊昭ってどんな選手?
名前 | 伏見 俊昭(ふしみ としあき) |
---|---|
生年月日 | 1976年02月04日 |
年齢 | 47歳 |
出身地 | 福島県 |
身長 | 181.0cm |
体重 | 88.0kg |
血液型 | O型 |
期別 | 75期 |
ホーム練習場 | 泉崎国際サイクルスタジアム |
自転車競技歴 | ・2001年 – オールスター競輪(岐阜競輪場) ・KEIRINグランプリ01(平塚競輪場) ・2004年 – 日本選手権競輪(静岡競輪場) ・2007年 – KEIRINグランプリ07(立川競輪場) ・2008年 – オールスター競輪(一宮競輪場) ・2009年 – SSシリーズ風光る(岸和田競輪場) ・2011年 – 読売新聞社杯全日本選抜競輪(岸和田競輪場) |
好きな食べ物 | 焼き肉 |
嫌いな食べ物 | – |
伏見俊昭選手は、福島県出身の47歳・登録機は75期です。
経歴を見れば、競輪ファンなら誰もが知るスター選手の1人といえるでしょう。
そんな伏見俊昭選手は2023年でデビュー28年目を迎えました。
未だ現役選手として活躍しており、多くのファンを魅了しています。
デビューした翌年にS級に昇格!
競輪選手は初めはA級選手としてデビューするため、デビュー後初めに選手の多くが目指すのは「S級選手」。
そんなS級選手になることは、1億円プレイヤーになるための目安ともされています。
伏見俊昭選手はデビュー翌年の1996年、異例の速さでS級へと昇格を決めました。
昇格の決め手となったのはA級レースでの驚異の9連勝。
その圧倒的連勝から、S級2班を飛び越えた飛び級となりました。
デビューして間もない時期にトップまで上り詰める姿は、多くの競輪ファン獲得に繋がったのではないでしょうか。
2001年には賞金王に!
全競輪選手が憧れるのは賞金王です。
競輪の賞金王になるためには、約2000人の選手の中でトップになる必要があります。
2001年、伏見俊昭選手の勢いは凄まじく、函館競輪場で開催されたふるさとダービーでの優勝をきっかけに、賞金ランキングの上位に食い込みました。
オールスター競輪を優勝し特別競輪も制覇、勢いそのままに、年末に開催されたKEIRINグランプリ01でも優勝。
結果、年間賞金総額は2億円を突破し、見事賞金王に輝きました。
競輪選手なら誰もが憧れる1億円プレイヤーですが、その倍の金額を獲得した伏見俊昭選手は、周りの選手の憧れの的であったのではないでしょうか。
伏見俊昭の獲得タイトルについて
競輪界の第一線を引っ張る伏見俊昭選手。
ここではそんな彼の獲得したタイトルをご紹介していきます。
タイトル | 獲得年月 |
---|---|
最優秀選手賞 | 2001年 |
ワールドメダリスト | 2004年 |
オールスター制覇 | 2001年・2008年 |
KEIRINグランプリ優勝 | 2001年・2007年 |
優秀選手賞 | 2004年・2007年・2008年 |
特別敢闘賞 | 2009年 |
通算500賞 | 2020年 |
輝かしい成績であることは一目瞭然ですね。
2001年に賞金王に輝いてから2年ほど、ビックタイトルにこそ恵まれない期間が存在しますが、2004年からは徐々に成績は回復。
2007年には2001年以来、6年ぶりにKEIRINグランプリで優勝し、2度目の賞金王にも輝きます。
1度目の優勝に奢ることなく、献身的にプレーし続けた結果といえるでしょう。
伏見俊昭の自転車競技の戦績
伏見俊昭選手は競輪選手との活動と並行して、自転車競技の選手としても活動していました。
その戦績は競輪同様に輝かしいく、自転車競技選手としての活躍は以下のとおりです。
アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得。
2004年のアテネオリンピックでは、銀メダルに輝きました。
メダルを獲得したことをきっかけに一躍時の人となり、メディアでの露出が増加。
知名度が上昇し、競輪ファン以外からも注目が集まるスポーツ選手となったといえるでしょう。
多くの人に注目されるようになれば、その分プレッシャーが掛かるものです。
メダリストともなれば、その重みは計り知れません。
耐えきれず成績が伸び悩み始める人がいてもおかしくないでしょう。
しかし、伏見選手は違いました。
このメダル獲得をきっかけに、当時ビックタイトルに恵まれていなかった競輪選手としての活動にも良い影響を与え始めたのです。
プレッシャーを力に変えて選手としての成長に繋げることができるところは、流石といえますね。
2021年のインタビューでは「元オリンピアンとしてコーチでの現ナショナルチームへの参加はあるか」という問いに対し、以下のように答えています。
ないです(断言)
全く知識もないですし。もしも中野(浩一)委員長から「パリ以降コーチングしてもらえないか」とか依頼されるとしたら、1年間くらい海外で勉強してからコーチをしたいですね。無知のままではやりたくないです。-MoreCADENCEより引用-
魅力的な話にも見えますが、「やるなら勉強してから」というのは、伏見俊昭選手の真面目さが伺えます。
伏見俊昭選手自信未だ現役の競輪選手として活躍しているので、自転車競技のナショナルチームのコーチとの兼業は非現実的なのではないしょうか。
選手としての活躍ももちろんですが、引退後のセカンドキャリアにも期待が高まります。
伏見俊昭のブログ「Legend of Keirin」が話題に!
競輪選手は「レースへの意気込み」や「プライベートでの出来事」などをブログで報告している人が多くいます。
伏見俊昭選手もそのうちの1人。
特徴的なのはその更新頻度です。
月に2回ほど更新しており、ファンとの交流を図っています。
どんな投稿がされているのか、例として1つ記事を見ていきましょう。
出走するレースへの意気込み・最近の心情などが書かれています。
コメント欄にはファンから応援のコメントが寄せられていました。
まめに情報発信していく姿は非常に好印象ですし、長年ファンが離れない要因の1つといえるでしょう。
伏見俊昭の結婚・嫁についてご紹介!
デビュー以来、伏見俊昭選手は競輪界の第一線を走り続けています。
多忙を極めていることは容易に想像できるしょう。
そんな伏見選手のプライベートを調べたところ・・・
2015年に三重県松阪市在住の一般女性と結婚していることがわかりました。
出会いのきっかけは三重県への移住です。
2011年の東日本大震災の影響でもともとの練習地が使用不可に。
避難を兼ねて、練習地を三重県に移すことになりました。
三重県の移住当初、伏見俊昭選手は練習環境が変わったからなのか、戦績が停滞。
しかし、すぐに回復し、結果的には同年に5度目のG1優勝を果たしました。
この急激な復活劇の背景には、新天地でできた恋人(嫁)の支えがあったのではないでしょうか。
伏見俊昭のまとめ
今回は、伏見俊昭選手について紹介しました!
まとめると以下の通り。
- デビュー翌年、異例の速さでS急に昇格
- KEIRINグランプリを2度優勝し、両年で賞金王になった
- ブログを頻繁に更新しファンと交流を図っている
- 結婚していて、出会いは三重県への移住だった
2023年5月現在、デビュー28年目のベテラン選手となった伏見俊昭選手は、S級1班として競輪界を引っ張っています。
本記事を書いている中で伏見俊昭選手に感じたのは「真面目さ」です。
徹底リサーチをするなかで数多くのインタビューを読みしたが、共通して「ファンへの感謝と前向きな姿勢」が感じられました。
長年第一線を走り続けられるのは「成績に一喜一憂しすぎない謙虚な姿勢」と「その姿勢についてくるファンの存在」があってこそでしょう。
今後も、ベテラン伏見俊昭選手の走りに目が離せません。
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