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競輪のトップ選手「武田豊樹」を徹底網羅!消えた天才への出演・自宅などご紹介!

競輪予想サイト解体新書の検証担当「近藤 宗康」です。

今回は「武田豊樹」選手についてご紹介します。

武田豊樹_TOP

競輪界発展に大きく貢献しているのが「ベテランの存在」です。

毎年数多くの選手が生まれる中、若手選手負けずに第一線を走り続けるベテラン選手の姿は多くの人を魅了しているのではないでしょうか。

今回は、そんなベテラン選手の中でも活躍が目立つ武田豊樹選手についてご紹介します。

選手としての偉業・功績・引退の噂まで徹底リサーチ。

ぜひ最後までご覧ください。

武田豊樹ってどんな競輪選手?

武田豊樹_選手紹介

武田豊樹選手の簡単なプロフィールからご紹介しましょう。

表記 武田 豊樹(たけだ とよき)
生年月日 1974年01月09日
年齢 49歳
出身地 茨城県
身長 177.0cm
体重 90.0kg
血液型 O型
期別 88期
ホームバンク 取手
自転車競技歴 ・優秀新人選手賞(平成16年)
・ベストナイン(平成17年~平成24年、平成27年~平成30年)
・優秀選手賞(平成17年、平成21年、平成27年)
・特別敢闘選手賞(平成22年~平成23年)
・最優秀選手賞(平成24年、平成26年)
・通算300勝達成(平成25年)
好きな食べ物 ・パスタ
嫌いな食べ物  –

武田豊樹選手は、茨城県出身の49歳、登録期は88期です。

競輪界を第一線で牽引するベテラン選手の1人といえるでしょう。

経歴から見ても、長年衰え知らずの強さでファンを魅了し続けていることがわかります。

元々スピードスケートのオリンピック選手だった!

武田豊樹選手を語る上で外せないのは、その経歴です。

中学・高校時代はスピードスケートを行っていた武田豊樹選手。

実は、スピードスケート選手としてソルトオリンピックへの出場経歴もあるのです。

ソルトオリンピックでの気になる結果は・・・

苦戦を強いられて8位入賞。

惜しくもメダル獲得とはなりませんでした。

それでも、後に競輪界を盛り上げる脚力は、スケート選手として世界と戦っていた当時から培われていたことがわかります。

オリンピック入賞後競輪に転向!

オリンピック終了後、武田豊樹選手に転機が訪れます。

競輪選手を養成する競輪学校入学の年齢制限が撤廃されたのです。

これを知った武田選手は、28歳という当時の最高齢で競輪学校に入学を決意しました。

当時の競輪界では珍しい別競技からの転向。

競輪界での活躍に不安はありましたが、入学後は持ち前の脚力で急成長を遂げました。

脚力の土台はスケートで培われているので、不思議ではないでしょう。

順調に成長を続け、2003年にデビューを迎えることとなります。

武田豊樹のデビュー戦について

年齢を考えると29歳と比較的遅めのデビューとなった武田豊樹選手。

果たしてデビュー戦の成績はどのようなものだったのでしょうか。

デビュー戦は2003年7月4日、立川競輪6R。

当日の出走表はこちらです。

武田豊樹_デビュー戦_出走表

デビュー戦ということもあり、競輪ファンの間では人気も高く、注目が集まっていました。

武田豊樹選手は10期以上の先輩に囲まれる中での走りとなりましたが、結果は逃げ切る形で堂々の1着。

多くの期待を寄せられ、プレッシャーを感じながらの走りを余儀なくされていましたが、流石は元オリンピアン。

しっかりと勝ち切り、競輪人生に華々しいデビューを飾ることとなりました。

武田豊樹の獲得タイトルについて

武田豊樹選手はデビュー戦での悔しさをバネに、多くのタイトルを獲得していきます。

その輝かしい獲得タイトルについてご紹介しましょう。

タイトル 獲得年月
優秀新人選手賞 2004年
優秀選手賞 2005年・2009年・2015年
特別敢闘選手賞 2010年・2011年
最優秀選手賞 2012年・2014年
通算300勝達成 2013年
KEIRINグランプリ優勝 2014年

2003年のデビュー翌年、優秀新人賞を獲得

その後も優秀選手賞やベストナインなどを獲得し、競輪界を駆け上がっていきます。

2014年にはグランプリで優勝を果たし自身初となる競輪界の頂点に君臨

デビュー10周年を迎えた平成25年には通算勝利数300勝を達成しました。

インタビューでは以下のように答えています。

自分にとって勝利数は、目標にするものではなくて、今までの通過点として後から見返すものですね。こんな練習や経験を積んだ頃に30勝したか、自分がどんな状態の時に50勝したか、というようにね。KEIRIN + SSより引用-

記録にとらわれずに1つずつ勝利を重ねていった武田豊樹選手。

その献身的な性格は、数多くのファンを獲得し、誰もが認めるビックネームとなった理由ではないでしょうか。

武田豊樹の獲得金額について

輝かしい成績を収め続けているスター選手ともなれば、気になるのは獲得賞金です。

ここでは、武田豊樹選手の獲得賞金について紹介していきます。

過去10年間の獲得賞金は以下の通りです。

年月 賞金額
2013年   44,448,000円
2014年 220,921,000円
2015年 144,189,137円
2016年   88,215,800円
2017年   85,266,800円
2018年   57,194,300円
2019年  –
2020年
2021年
2022年

2013年から2018年にかけて賞金ランキング上位にランクイン。

2014年には悲願のGP初優勝を達成して賞金ランキングで年間1位に輝き、獲得額は驚異の220,921,000 円にも上りました。

ただ、2019年以降は賞金ランキングから突如姿を消しています。

その原因は、2019年の4度落車による左鎖骨の骨折。

処置がうまくいかず、結果3度手術を繰り返すこととになりました。

デビューから変わらぬ強さで観客を魅了し続けていた武田豊樹選手であるが、この頃から年齢による衰えが見え隠れし始めます。

とはいえ、インタビューでは「自転車はほとんど休まずに乗っていましたよ」と語っており、選手として現役にこだわる負けず嫌いな面は、武田豊樹選手の魅力の1つでしょう。

武田豊樹の凄さ・偉業をご紹介!

武田豊樹_偉業_凄さ

誰もが知るビックネームとなった武田豊樹選手。

デビュー以来、数多くの競輪ファンを魅了してきました。

ここからは、そんな武田豊樹選手の達成した偉業についてご紹介します。

2023年現在でも語り継がれている偉業は以下の3つ。

  • 競輪史上2人目の異種目合格
  • 史上最速特昇
  • 自転車競技で4連覇

それぞれ詳しくご紹介します。

競輪史上2人目の異種目合格!

今となっては珍しくない競輪学校への異種目合格。ですが、武田豊樹選手は当時、植松仁選手に次いで特別選抜として競輪史上2人目の異種目合格となりました。

入学当初は「競輪選手になりたくて始めたわけではない」と語っており、あくまで食べていく手段として”競輪選手”という職業を選んだとのこと。

スケート時代に培った脚力を武器にし選択した、武田豊樹選手ならではのセカンドキャリアといえるでしょう。

当時、史上最速の特昇を果たす!

武田豊樹選手はデビュー直後、さっそく偉業を成し遂げます。

2004年1月12日に取手競輪で完全優勝を果たし、結果これが3場所連続の完全優勝となったのです。

この功績が讃えられ、当時としては異例のデビュー6ヶ月目にしてS級2班への最速昇格を達成。

異業種で培った脚力に競輪ファンからも期待が集まっていましたが、見事にその期待に応える形となりました。

実は、この偉業を成し遂げるまでの10レース中、決勝での勝率は8割。

後のビックネームとなる選手が産声を上げた初年度であったことがわかります。

自転車競技でも4連覇達成!

競輪選手として初年度を華々しく飾った武田豊樹選手ですが、その後も着々と勝利を重ねていきます。

毎年5月に開かれる全日本プロ選手権自転車競技大会「通称全プロ」にも出場。

ケイリン種目で2006年から2009年まで、異例の4連覇を達成しました。

後に数々のスター選手が現れる自転車競技界ですが、未だにこの記録は破られておらず、当時の武田豊樹選手は圧倒的な強さだったということが伺えます。

武田豊樹がテレビ番組「消えた天才」に出演!

武田豊樹_消えた天才

競輪を普段見ないという方でも、武田豊樹選手の名前を聞いたことある方は多いのではないでしょうか。

実は、武田豊樹選手、TBS系のテレビ番組「消えた天才」に出演したことがあります。

気になる内容ですが、スケート時代が関係しており、武田豊樹選手を消えた天才と称していたのはプロスピードスケート選手で金メダリストの清水宏保選手

彼が中学・高校時代、絶対に勝てなかった同い年の天才として武田豊樹選手の名前を上げ、選手としてのリスペクトしている所や感謝を述べていました。

清水宏保選手は、長野オリンピックで金メダルを獲得した後に、練習パートナーとして当時スケートを一時引退していた武田豊樹選手に声をかけたそうです。

金メダリストに天才と称され、パートナーとして信頼されている面を見ると、ただの仕事仲間の粋を超えた”同じ苦労を知る者同士の絆”のようなものを感じとれます。

武田豊樹の自宅が大豪邸と話題に!

武田豊樹_豪邸

「消えた天才」内では武田豊樹選手の住む、豪邸についても紹介され話題になりました。

自宅は茨城県の取手市にあり、その広さはなんと450坪

地元茨城県に立てた豪邸ですが、敷地内には「武田道場」と名付けられた練習場があり、最新のトレーニング器具が整備されているようです。

取手市といえば、武田豊樹選手がホームバンクである取手競輪場があります。

職場の近くに豪邸を建てた武田豊樹選手は「競輪場から打鐘が聞こえるから」と語っており、常に身近に競輪を感じるように工夫されているようです。

トップを走り続け、より強くなるための硬い意思のようなものを感じられます。

武田豊樹の妻・子供について

武田豊樹_家族

競輪ファンなら誰でも知っているビックネームの武田豊樹選手。

順風満帆な競輪人生を送っていますが、プライベートはどのようなものなのでしょうか。

徹底的にリサーチを試みると・・・

2009年に智恵子さんという7歳年下の一般女性と結婚されており、3人の子供に恵まれているようです。

「消えた天才」内でも家族仲が良い様子が見受けられ、パパレーサーとして活躍し続けられるのは、幸せな家庭の存在が大きいのかもしれません。

武田豊樹の引退の噂について

武田豊樹_引退について

来年で50歳を迎える武田豊樹選手。

選手としてはベテランの粋に達しており、全盛期ほどの活躍は見受けられなくなりましたが、粘り強い走りは未だに健在です。

2022年にライバルであった村上義弘選手が引退し、徐々に競輪ファンの間では引退の噂が囁かれています。

そんな中、武田豊樹選手本人は引退についてどのように考えているのでしょうか。

2023年3月の金亀杯争覇戦では以下のように語っています。

「僕も、もう49歳。年齢で言えば晴智と同級生だし、今の若い選手は自分の子供の様。結婚が遅かったので娘3人いるが、まだ小学生。若い子の考えもあるから、それも尊重しないといけないし作戦と言う作戦はなくなってきている」

「落車が続き、骨盤骨折の時は、心が折れ、少し引退も考えたけどね。それ以外は、考えた事がないし、そう思っていたら、この場所にいないよ(大笑い)」net keirinより引用-

引退を意識してるいるが、モチベーションの低下などは特にないそうなので、まだまだ活躍を見られるのは楽しみなところです。

武田豊樹のまとめ

武田豊樹_まとめ

今回は、武田豊樹選手について紹介しました!

まとめると以下の通り。

  • 元プロスピードスケート選手で脚力の基礎はスケートで培われた
  • 競輪学校へは当時では珍しい”特別選抜合格”で入学
  • 賞金ランキングの常連であった
  • TBS系テレビ番組「消えた天才」に出演
  • 豪邸に住み幸せな家庭を築いている
  • 引退は意識はしているが未だ現役は続ける覚悟がある

その競輪人生は輝かしいものであり、多くのファンを魅了してきた武田豊樹選手。

若い選手が対抗して来ていることには「若い子の考えもあるから、それも尊重しないといけないし作戦と言う作戦はなくなってきている」と語っています。

長年競輪界を引っ張ってきた存在として、我々はあとどれだけ彼の走りが見ることができるのでしょうか。

衰え知らずのベテランの活躍にこれからも期待しましょう。

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