史上初のグランドスラム達成達成選手「井上茂徳」を徹底網羅!引退理由とその後の活躍・偉業などご紹介!
競輪予想サイト解体新書の検証担当「近藤 宗康」です。
今回は「井上茂徳」選手についてご紹介します。
競輪の歴史を語る上で外せないのは、「レジェンド選手の存在」でしょう。
1948年から続く長い歴史の中で、数多くの選手が誕生し、ファンを魅了してきました。
今回は、現役時代、その人間離れした脚力から「鬼脚」と崇められたレジェンド選手である井上茂徳選手についてご紹介します。
選手としての経歴・成績・引退理由・引退後の活動まで徹底リサーチ。
ぜひ最後までご覧ください。
目次
井上茂徳ってどんな選手?
表記 | 井上 成徳(いのうえ しげのり) |
---|---|
生年月日 | 1958年03月20日 |
年齢 | 65歳 |
出身地 | 佐賀県 |
身長 | 171.0cm |
体重 | 80.0kg |
血液型 | O型 |
期別 | 41期 |
ホームバンク | 武雄競輪場 |
自転車競技歴 | ・優秀新人選手賞(昭和54年) ・最優秀選手賞(昭和57年・59年) ・優秀選手賞(昭和56・61年・63年 2年・6年) ・優勝記録更新選手賞12回 (昭和59年) ・連勝記録更新選手賞8連勝 (昭和59年) ・ベストナイン賞(昭和57年~平成4年・6年・7年・9年) ・ワールドメダリスト賞(昭和62年) ・グランドスラム賞(昭和63年) |
好きな食べ物 | 魚料理 |
嫌いな食べ物 | なし |
井上茂徳選手は、佐賀県出身の65歳、登録期は41期です。
自転車競技歴をみると、日本の競輪を語る上では、避けては通れないレジェンド選手の1人と言えるでしょう。
経歴をみても競輪界を第一線で引っ張ってきたことがわかります。
日本競輪学校受験を一回失敗していた!
競輪ファンなら誰もが知るレジェンド選手となった井上茂徳選手ですが、実は第39期日本競輪学校の受験を一度失敗しています。
その後、法政大学在学中に再び日本競輪学校第41期を受験し見事合格。
法政大学を中退し、競輪学校へ入学を果たすこととなりました。
今となっては「鬼脚」と呼ばれた井上茂徳選手が、競輪学校を不合格になったことは信じられません。
半年間の出場停止勧告を受けていた!
井上茂徳選手ですが、若手時代の有名な破天荒なエピソードが存在します。
それはホームの武雄競輪場で、初勝利を収めた後に起こりました。
伊豆のサイクルスポーツセンターでの新人教育訓練の際、夜中に同期と宿舎で缶ビールを飲んで騒いでいたのです。
その結果、選手会から制裁として出されたのは7月から半年間の出場停止勧告。
井上茂徳選手は出場自粛期間について「反省と乗り込みが後の成績に結びついた」と語っていました。
大ベテランの若気の至りが招いた結果でしょう。
中野浩一の番手として活躍していた!
井上茂徳選手の得意としていたポジションは、番手。
先行選手の後ろの位置のこと。追い込み選手にとってはもっとも有利な位置となる。–KEIRIN GUIDEより引用-
井上茂徳選手は、憧れの先輩であるレジェンド選手で「ミスター競輪」の異名を持つ“中野浩一”選手の番手として、多く活躍をしていました。
2人のコンビは、その強さから九州が生んだ「ゴールデンコンビ」と称され、数々の実績を残しています。
後のインタビューでも中野浩一選手は、インタビューで「時空を超えたオールスター競輪9人」に井上茂徳選手の名前を上げていました。
激動の時代を引っ張ってきた関係だからこそ、互い実力を認めあっているのでしょう。
リスペクトを感じる関係性は微笑ましいです。
井上茂徳の通算成績・生涯獲得賞金について
歴史に名を残すレジェンド選手ともなれば、生涯の獲得賞金はかなりの額に上るのではないでしょうか。
ここでは、井上茂徳選手の通算成績・獲得賞金について丸裸にしていきます。
まずは、通算成績から。
出走数 | 勝利数 | 優勝数 |
---|---|---|
1,626戦 | 653戦 | 154回 |
競輪選手の一般的な通算勝率は、高くても20%台と言われている中、井上茂徳選手は脅威の40.1%を記録しています。
通算600勝を達成したのはは競技歴26年目。
年間23回以上勝利している計算になります。
次に、獲得賞金です。
井上茂徳選手の通算獲得賞金額は、15億6,643万4,532円。
生涯獲得賞金ランキング9位の金額です。
競輪選手の「頑張った分だけ稼げる」というイメージは、彼の活躍なしに築けなかったのではないでしょうか。
井上茂徳の偉業をご紹介!
井上茂徳選手は、引退までの間数多くのタイトルを獲得してきました。
その中でも、生涯獲得賞金ランキングの上位にランクインに大きく関わったものは以下の通りです。
- 史上初のグランドスラム達成
- KEIRINグランプリ3度制覇
どちらも並大抵の選手では達成することのできないものばかり・・・
それぞれ詳しくご紹介します。
史上初のグランドスラム達成!
井上茂徳選手の強さがわかる成績の代表として、日本の競輪史上初のグランドスラム達成があります。
グランドスラムとは「4日制以上のすべてのGⅠレースで優勝すること」。
すなわち全日本選抜競輪・日本選手権競輪・高松宮記念杯競輪・オールスター競輪・寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント・競輪祭の6つのレースを制覇することと定義されています。
1つのタイトルを獲得するだけでも凄いことのですが、同じ年の全てタイトルを掻っ攫う圧倒的な強さは、今もなお全競輪選手が憧れるのではないでしょうか。
ちなみにグランドスラムに関しては、2022年の時点で4人しか達成していません。
井上茂徳選手に並ぶ選手が今後どれほど出てくるのか、期待しましょう。
KEIRINグランプリを3度制覇!
1999年に現役を引退した井上茂徳選手ですが、未だに破られていない記録を持っています。
それはKEIRINグランプリの最多優勝記録です。
年に1度のKEIRINグランプリは、その年の成績優秀選手であるS級S班の選手しか出場することができません。
そんなレースで井上茂徳選手は3度の優勝を記録。
この記録は未だに破られていない伝説となっています。
ここぞというところで勝ち切る勝負強さは、流石といえるでしょう。
井上茂徳の引退理由とは?
1990年代の競輪界のトップで活躍していた井上茂徳選手ですが、1998年1月・立川競輪場で落車。
右鎖骨を骨折するという、重症をおってしまいました。
この影響から違反点がかさみ始め、1999年4月S級2班に降格。
結果、引退を決意しました。
「死にものぐるいでやれば、もうしばらくは走れた」と語っていた井上茂徳選手ですが、当時40歳だったこともあり、命懸けで走ることに限界を感じていたようです。
また「トップを走るには必要不可欠であった日々の練習からも解放されたかった」と井上茂徳選手は語っており、トップ選手ならではの苦悩などが伺えます。
井上茂徳の引退後について
競輪選手の引退後は様々なセカンドキャリアを辿ります。
中でも多いのは競輪に携わる仕事で、競輪場職員やガードマンとなるケースが目立ちます。
「現役時代の恩返したい」「好きな競輪に関わっていたい」という思いからなのかもしれません。
その思いは様々ですが、多方面から競輪界を支えているOBの存在は、競輪の発展を願う選手・ファンにとっても「頼もしい存在」と言えるでしょう。
井上茂徳選手も、競輪選手を引退した後多岐にわたり活動をしています。
それは以下の3つです。
- レースの解説者
- 漁師
- 画伯
競輪に関わる仕事から、全く関係のない新たな取組もしているので、それぞれご紹介いたします。
武雄競輪の解説者
現役引退をした現在、井上茂徳選手はホームバンクであった武雄競輪で解説者として活動をしています。
現役時代「鬼脚」と称されたレジェンドの解説は競輪ファンを魅了していますが「リハーサルに現れないですよね」とアシスタントにいじられる場面も。
おちゃめな部分が垣間見えるところは、現役を引退した今でもファンが多くついている理由のひとつなのかもしれません。
毎年、武雄競輪場では井上茂徳選手の功績を称えた「井上茂徳杯(F1)」が開催されており、自身で解説を務めています。
有明海の漁師
井上茂徳選手は幼い頃から大の釣り好きで、人生の後半は漁師になってみたいと考えていたようです。
引退後、地元の佐世保と有明海に小船を所持し、多くの漁師さんと関係ができた井上茂徳選手は、有明海漁連の組合に加わり、漁師になります。
大量の魚やエビ・イカを持ち帰っては家族を喜ばせているとのことでした。
漁師になった当時のことを井上茂徳選手は以下のように語っています。
漁師はぶっきらぼうで付き合いが難しいかと思われがちですが、一旦友達になったらとことん良くしてくれます。今は色々な漁の仕方を教えてくれます。時間がとれたときはすぐに海に出掛けて行く私を見て家族は呆れ果てていますが、それでも大量の魚やエビやイカを持ち帰るとニッコリと微笑んでいます。-週間レースより引用-
引退後も自分のやりたいことを突き詰め、夢を実現させる姿には流石といえるでしょう。
画伯
井上茂徳選手は、絵を書くことも得意としており、画伯としての顔も持ち合わせています。
以下は、2021年11月24〜28日に武雄競輪で開催された「飛龍賞争奪戦G3」のために、井上茂徳画伯が飛龍賞をイメージして描いた作品です。
元競輪選手とは思えないほど、繊細で力強い独特のタッチで書かれた龍の絵といえますね。
今後、新しい作品見ることができるのでしょうか。
井上茂徳のまとめ
今回は、井上茂徳選手について紹介しました!
まとめると以下の通り。
- デビュー直後、半年間の出場停止勧告を受けていた
- 競輪史上初のグランドスラム制覇
- 生涯獲得賞金ランキングは15億6,643万4,532円
- 引退後は武雄競輪の解説者を務めている
史上初のグランドスラムなど、井上茂徳選手は輝かしい成績を残してきました。
競輪界のレジェンドとなった井上茂徳選手ですが、現在は解説者などで競輪界を支えています。
現役引退してもなお、井上茂徳選手の存在は現役選手に多大なる影響を与えているでしょう。
これからも井上茂徳選手の活動に目が離せません。
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